「まちかどノーマライゼーション」

ノーマライゼーション 平成14年2月から4年半にわたり、情報誌「fooga」(発行コンパスポイント)に連載コラム「まちかどノーマライゼーション」を掲載し、ノーマライゼーション思想の普及を行いました。

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筆者プロフィール

伊藤勝規
1964年宇都宮生まれ。
高校時代に宇都宮車いすガイドブック作りに参加したのをきかけに福祉道に入る。
「福祉」を慈善ややさしさとは切り離し、独自の視点で語ることをモットーとする。

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2004年4月号 「2004年2月20日が歴史に残る日になるか?」

私がこのコラムの原稿を書いてから、「fooga」となって皆さんに読んでもらうまでには
約ひと月の間があるので、新聞記事などの時事ネタをテーマに書くことは
どうも気が進みませんが、それでもやっぱり、
今回はこのニュースを取り上げずにはいられません。

「脱施設『宮城全県で』・知的障害者地域で共生・知事宣言へ」2月20日の朝日新聞は、
この日浅野史郎宮城県知事が「アメニティーフォーラムinしが」で
発表する宣言を第一面トップに据え、「障害がある人もない人もともに地域で暮らす
『ノーマライゼーション』の理念を都道府県単位で実践する全国初の試み」と紹介しました。
脱施設化は、障害者福祉の世界的な潮流でありノーマライゼーションそのものであるので、
これから数十年という単位の時間の中で「あたりまえ」の姿になっていくことなのでしょうが、
それでもこのインパクトのある浅野知事の宣言は、障害者福祉の転換点として
歴史に刻まれていくことでしょう。

そもそも何故「脱施設」なのか?そんな疑問を持つ方も多いと思います。
もともと障害者施設は、障害を持つ子どもの親たちが、
親亡き後の子供の生活を支える場として望んだものであり、また、一般の会社では
職能的にも環境的にも働くことの出来ない障害者本人が望んだものです。
特に、親たちの悩みは深刻で、子が親より早くに亡くなると「親孝行な子供だ」などと
平然と言われることがあるのも事実です。
一方で施設は、運営する方々の多くの努力はあるのですが、
生活する障害者本人たちにとって決して豊かで幸せな場所とは言ません。
浅野知事は、「『ところで皆さんはどうしたいのですか』という問い掛けさえもが、
施策を供給する側の一方的な都合で封じられてきた」と現状をコメントしていますが、
それでも必要な場所であったわけです。

それでは障害者は施設を出てどこへ行くのか?
「地域で共生」とは言っても、親元や家族のもとに戻すわけでもなく、
イメージがわきにくいかもしれません。具体的には、
数人から十数人という単位で暮らすグループホームで、必要な支援を受けながら生活します。
そして、そこから福祉作業所に通います。
グループホーム自体は一般の民家の様なたたずまいで、そこから近隣のマーケットに
買い物に出たり、遊びに行ったりするわけです。
大規模な施設が、生活から仕事、レクリエーションまで閉鎖された空間の中で
まかなっていたのに対し、地域のコミュニティーの中で生活するようになるのですから、
地域に暮らす人々の理解が大切になることは言うまでもありません。

経済効率のよい大型の施設からの脱却は、
それだけ社会が豊かになったことの証でもあります。
しかし、障害者が地域に溶け込んだ生活を送れるかどうかは、
迎える地域の人々の心の豊かさにかかっているのかもしれません。

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