「まちかどノーマライゼーション」

ノーマライゼーション 平成14年2月から4年半にわたり、情報誌「fooga」(発行コンパスポイント)に連載コラム「まちかどノーマライゼーション」を掲載し、ノーマライゼーション思想の普及を行いました。

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筆者プロフィール

伊藤勝規
1964年宇都宮生まれ。
高校時代に宇都宮車いすガイドブック作りに参加したのをきかけに福祉道に入る。
「福祉」を慈善ややさしさとは切り離し、独自の視点で語ることをモットーとする。

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2004年11月号 「『権利』と『思いやり』の混沌」

先日、ある資格試験の模擬試験の中に、
車いす使用者向け駐車場スペースについてのこんな問題を発見しました。 問 次の文章は適切か不適切か?
「多くの車いす使用者駐車区画が確保でき、車いす使用者の利用がない場合には
高齢者や乳幼児連れの人も利用できる旨の表示を設ける」

私は「不適切」としましたがそれは誤りで、正解は「適切」なのだそうです。
どのように理解すべきなのか?

実は、このコラムの第2回目に車いす使用者向け駐車スペースについて書いていますが、
「十分な数をそろえた上で利用者の範囲を拡大することこそ、
ノーマライゼーションの方向性なのだ」と結んでいます。 2年前のことです。
この問いの文章を「適切」だとすれば2年半後の今日、
その方向性は実現されたことになりますが、果たして本当でしょうか?

そもそも車いす使用者向け駐車スペースとは、一般の区画と比べて幅が広く
設定されていることがその意味合いになります。自動車の座席から車いすに乗り移るには、
ドアが全開にでき、車いすが横に付けられるスペースが必要です。
車いす使用者が乗降できる広い駐車区画がないということは、
駅のホームに上がるエレベーターが無い鉄道と同じく、それ自体が差別であり、
克服すべきバリアであるといえます。
「車いすを使用している人は、移動が大変だから
便利のいいところにスペースを設けてあげよう」という「思いやり」とは全く違った次元で
設置されるものなのです。一般の方々や車いすを使用する当事者の中にも、
その根本を理解していない人が多くいるようです。

日本では、車いす使用者向け駐車場スペースは、条例によりもっとも便利のいいところに
設けられています。誰もが利用したい特等席がいつも空いていれば、
「移動が大変なのは、車いす使用者も高齢者も乳幼児連れの人も同じだ」という発想から、
「思いやり」の駐車スペースに変容していくこともやむを得ないのでしょうか。
差別を認め権利を守ることなく、車いす利用者全体を弱者と見なして「思いやり」で解決する、
混沌とした状態です。

車社会の全米ではどうでしょう。
車いす使用者向け駐車スペースは特別席にあるとは限りません。
広い駐車場に均一にちりばめられる様に配置され、車いすを使用しない人が駐車すると
罰金が課せられます。
駐車の許可は公的に与えられ、ナンバープレートに車いすマークが刻印されているのです。
車いす使用者向け駐車スペースを権利としてしっかりと守る一方で、
車いす使用者を一律に弱者と見なして保護することは否定します。

j歩行の困難な高齢者など優先スペースはどうなっているのでしょうか。
それは「思いやり」以上に、商業的な顧客ニーズとしてくみ上げていくというような、
合理的な解決がなされていすようです。

日本では、車いす使用者向け駐車場スペースは、条例によりもっとも便利のいいところに
設けられています。誰もが利用したい特等席がいつも空いていれば、
「移動が大変なのは、車いす使用者も高齢者も乳幼児連れの人も同じだ」という発想から、
「思いやり」の駐車スペースに変容していくこともやむを得ないのでしょうか。
差別を認め権利を守ることなく、車いす利用者全体を弱者と見なして「思いやり」で解決する、
混沌とした状態です。

車社会の全米ではどうでしょう。
車いす使用者向け駐車スペースは特別席にあるとは限りません。
広い駐車場に均一にちりばめられる様に配置され、車いすを使用しない人が駐車すると
罰金が課せられます。
駐車の許可は公的に与えられ、ナンバープレートに車いすマークが刻印されているのです。
車いす使用者向け駐車スペースを権利としてしっかりと守る一方で、
車いす使用者を一律に弱者と見なして保護することは否定します。

歩行の困難な高齢者など優先スペースはどうなっているのでしょうか。
それは「思いやり」以上に、商業的な顧客ニーズとしてくみ上げていくというような、
合理的な解決がなされていすようです。

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