「まちかどノーマライゼーション」

ノーマライゼーション 平成14年2月から4年半にわたり、情報誌「fooga」(発行コンパスポイント)に連載コラム「まちかどノーマライゼーション」を掲載し、ノーマライゼーション思想の普及を行いました。

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筆者プロフィール

伊藤勝規
1964年宇都宮生まれ。
高校時代に宇都宮車いすガイドブック作りに参加したのをきかけに福祉道に入る。
「福祉」を慈善ややさしさとは切り離し、独自の視点で語ることをモットーとする。

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2004年10月号 「世界で始めて点字ブロックを採用してのは宇都宮市だった」

バリアフリーの街づくりを象徴するもののひとつに点字ブロックがあります。
欧米・アジア諸国を問わず、今や世界中で見かける点字ブロックですが、
実は日本で開発されたものであることは、あまり知られていません。

時は1960年代初頭、岡山県の発明家三宅精一氏が出くわしたある場面が、
点字ブロックの開発につながります。
それは交差点で、猛スピードの車に今にも轢かれそうになる盲人の姿を目撃したことでした。
その体験以来、盲人を安全に歩行させるアイディアを思考していた彼は、
犬好きという共通の趣味で岩橋英行氏と出会います。
運命的な出会いといはまさにこのことを言うのきしょう。
後にヘレンケラー女史との親交を深め、
1922年に日本で始めて点字出版を手がけた人物です。

三宅氏と岩橋氏が点字ブロックの研究を始めてまもなく、
岩橋氏も父同様、網膜色素変性症という病気で視力を失います。
「盲人が安全に街を歩けるように」二人の切実な想いは力となり、
とうとう1965年、点字ブロックを完成させます。
そしてさらに、交通信号が青であることを振動で知らせる振動蝕和式信号機も完成させ、
三宅氏はそれらの普及のために「安全交通試験研究センター」を設立します。
もてる私財のすべてを「安全に街を」の夢に託した決断でした。

点字ブロック施工第1号は、1987年3月、寄贈という形で
岡山県立盲学校の周辺に行われています。
これが全国的なニュースとなり、点字ブロックの普及は順調に進む・・・かに見えましたが、
現実は厳しく、その後数年間は全国の福祉事務所や土木事務所への普及行脚、
主要都市への寄贈が続きます。努力が実を結ぶのは1970年、
旧国鉄が大阪阪和線の我孫子町駅に点字ブロックの設置を決めたのに続き、
東京都が高田馬場を中心に1万枚以上の点字ブロックを採用、
一帯を「交通安全モデル地区」に指定しました。

完成から6年間、挫折に直面し、一時は心労から病に伏せた三宅氏。
宇都宮市からの吉報が届いたのも、そんな病の床にでした。
それは、三宅氏が点字ブロックとともに開発した振動蝕知識信号機を16台、
市内の交差点に設置するというものです。
そこには、交差点を認識させるための点字ブロック250枚もセットになっています。
寄贈ではなく初めて行政が正式に採用を決めたのです。1968年9月のことでした。

宇都宮市の採用がどんなにか三宅氏を勇気付けたかを想像することはたやすいことです。
一般には点字ブロックを盲人の誘導手段として採用した高田馬場が、
点字ブロック初採用といわれていますが、それよりも2年も前に
宇都宮市が採用していることは紛れのない事実です。
そしてこれが、いま世界に普及する点字ブロックの初採用であります。
わが郷土の誇らしい歴史として記念碑を建てたい気分ですが、
残念ながらそれが市内のどこの交差点であったかの情報は、今回は得られませんでした。

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